目から耳から情報を得て人間はさまざまなことを知ります。そこに働いているのが、感覚と知覚です。
感覚と知覚の重大な違いは、受け取る側、つまり受容器を考えるか否かです。
感覚といった場合、感覚とその受容器の間の神経系が話題の中心です。しかし、知覚の場合はもっと幅広く、過去の経験や好み、価値なども含みます。「時間知覚」というのはその代表でしょう。
知覚は感覚を基礎におきます。そのため、実際には感じていなくても、その影響を受けていることもありえますし、またその逆もいえます。
たとえば、視覚を例にとれば、目は体の動きにつれて、絶えず振動なり、微動をしているはずです。しかし、そういう風に感じることって、あまりないですよね。いつもぐらぐら世の中が見えていたら、これはおかしいです。実は、ここで知覚が働き、安定させているのです。
実際は動いているのに、そうは見えない、このようなものは「知覚の恒常性」と呼ばれます。視覚を例にとれば、「大きさ」「形」「位置」「明るさ」「色」などに働いている、といわれています。
「大きさの恒常性」はたとえば、道路の標識。標識って5メートル前から見ても、10メートル前から見ても、標識そのものの大きさは同じですよね。これとか、顔の30センチくらい前に手を置いて、それを徐々に手一杯まで後ろに下げてみましょう。手の大きさは変わりますか? 同じ大きさに見えませんか?
これは本来ならば、距離に比例して大きくなったり、小さくなるはずなのですが、どんな状況でも同じに見えるよう、知覚系がある種、無意識的な幾何学的推理を行ってコントロールしていると考えられています。これを「大きさの恒常性」と呼びます。
「形の恒常性」も意味は簡単です。たとえば、コップはどの角度から見たとしても、コップに見えます。でも本当なら、位置や角度が違えばまったく違うものに見えるはずです。しかし、それを意識することはあまりありません。
これは「どの角度から見ても、その形は変わらない」ということを前提に、知覚系が今までの経験などを元に判断したり、影のデータを処理したりして、実現しているのではないかと考えられています。
また知覚には、補い合う性質もあるようで、これはたとえば、踏切のところにある、あの赤い点滅するやつ、あれって、上下についている場合、上、下、上、下って動いているように見えますよね。それぞれが独立にぱっ、ぱっと出ているようには見えないと思います。こんなときに働いていたり、あと、下の「主観的輪郭線」の図。黒いぱっくり開いたやつしかないのに、白い三角形が見えませんか?
これらは仮現運動と呼ばれたり、錯覚と言われます。ただ、そう言うものの、なぜそうなるのか、ということはさっきの恒常性と違って理論的にわかっていません。知覚研究が心理学のひとつの柱になっている理由はここにあるんですが、知覚はこのようにいろいろな仕組みを持つことで、外界を把握し、生物として意義ある活動に結び付けていることを、覚えておいてほしいと思います。
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