ついにここまできましたね。今回のテーマは、基礎的な心理臨床についてです。とはいえ、心理臨床というのはほかの心理学分野に比べて非常に特異的な存在です。
一般的に心理学者は臨床分野にあまり興味を持っていません。また、その逆もいえます。同じ心理学でも、その考え方に天文学と星占いくらいの差があるのです。
その心理臨床ですが、はっきりいって人を助けたいとか、役に立ちたいというだけではできません。人間全体に興味がないと決してできるものではないといえるでしょう。
クライエント中心療法(クライエントの自発的なものを重視する考え。フォーカシングなど)を提唱したロジャースは、心理臨床家は自分自身の自我が確立していて、しかも、悩みを持って訪れた人がどんな状態であってもそれをありのままに受け入れて、同情ではなく、共感的理解(クライエントの考えている世界を自分のもののように考えること。自分と照らし合わせて考える同情とは違い、ありのまま受け入れる)ができなければならない、と述べています。
この共感的理解こそが、カウンセリングの基本的なスタンスです。
さて、心理臨床を必要とする人はかなり幅が広いといえます。うつ病などで悩みを抱える人から、まったく問題がない人まで、しかも個人のみでなく、集団、社会までがその対象です。そのため、病院やカウンセリングルームだけでなく、児童相談所や警察、裁判所、はたまたは学校や職場などにまで、臨床現場はあるといえます。
心理臨床家のスタンスは、悩みを抱える人が自らの力でよくなっていく過程をサポートすることであり、決して治そうという姿勢ではありません。また、心理臨床家と悩みを抱えて訪れてきた人、すなわちクライエントとの間は、信頼関係が最重要なものとなります。
その一つの例が「治療契約」です。心理療法を始める前、心理臨床家はクライエントとの間に、守秘義務を守ること(家族にも明かさない)、クライエントは心理臨床家の指示に従うこと、いつ心理療法を行うのか、費用はどのくらいなのか、といったかなり細かいことをクライエントと意思疎通を取りながら決めていくことがあります。これにはもちろんそのとおりに実行するという契約の意味もありますが、それだけでなく、心理臨床家もクライエントも、これから一緒にやっていくんだという意識をはっきりさせ、信頼関係を結ぶという意味で非常に重要な意味があるとされています。
このように、心理臨床家とクライエントとの間に最も重要なのが信頼関係なのです。療法家はこの信頼関係が維持できるよう、最善の努力を尽くさなければなりません。そのためにも、その人全体に興味が持てて、そしてその人全体を受け入れることができる許容力が必要とされます。
この信頼関係が維持されている中でまず行わなければならないのが、その人がどういう人であるのかという、心理アセスメントです。
心理アセスメントでは、その人の生育歴や家族関係、社会関係といったものを聞いたり、質問紙やTAT、ロールシャッハテストといったさまざまな手段でその人の心理状態を調べます。たとえば、うつ気味で悩んでいる人がいた場合、今までどうだったのか、会社ではどうなのかといった、まるで内科の問診のようなことしたり、BDIという質問紙を使ってその人の抑うつ状態を評価します。
この上で心理臨床家は、その人に最もよくあう心理療法を行います。ですから、必ずしも精神分析療法だけを行ったり、夢分析をするわけではないのです。
最もよく行われるのは、ベックが始めた「認知療法」と、条件付けの考えを元にした「行動療法」です。認知療法はたとえば、なぜか電車に乗れない人がいたとして、その人が電車に乗るのが怖いと言った場合、なぜそう考えるのか、他の考え方はできないのか、といった形で認知プロセスを修正する療法です。行動療法は、電車に乗ることを徐々に慣らしていく、という感じでしょうか。
これらは非常に効率よく問題を解決できるので、よく行われます。比較的短期間(長くて数ヶ月)に決まった回数を行うということが多く、「治療契約」でそこら辺を具体的に決めることがあります。
精神分析療法(夢分析を行ったり、クライエントに言葉によって働きかけたりする。自由連想、遊戯療法など)や、ユング派の精神療法(客観的な夢分析を中心にイメージを考えるもの。リフレーミング、箱庭療法など)などは、これらによっても改善されない場合などに行われます。かなり長い時間(下手をすると、15年とか)と頻繁な回数(週2回とか)が必要とされますし、また費用もかなりかかります。
この際気をつけなければならないのが、長い期間心理療法を行うと、クライエントが心理療法家をいろいろなものに見立ててしまうことがあることです。特に精神分析では、クライエントが話すとき、親や恋人に話しているようになりやすいので、本当の親や恋人に見立ててしまったりします。これを転移といいます。また、療法家がクライエントをいろいろなものに見立ててしまうという、逆転移というのも起こり得ます。
これは信頼関係ではありません。軽いものならいいですが、強くそれが現れた場合、その後の心理療法に大きく影響を与えます。クライエントが知らぬ間に「変わりたくない」と、療法に対して抵抗していると考えたほうがよいといえるのです。
また心理療法では、言葉が重要な道具となります。しかし、その使い方は非常に難しく、たとえば「うつ病の人に『頑張ってください』と言ってはいけない」というのもその例でしょう。これは実際の統計結果でも示されています(応援されるほど、自殺率が上がるという形で示されている)。
ですから、心理療法というのは、その人その人にあったオンデマンドなものを療法家が実践することがほとんどです。クライエント中心療法の考え方と、認知療法の考え方を混ぜたりといったこともあります。
また一般的に、精神分裂病のような精神疾患から、うつ病、解離性同一性障害(一般に多重人格)、パニックディスオーダーのような不安障害、人格障害といったものまで、かなり幅広い範囲で心理療法の対象となりえます。しかしその際は、薬物療法と併用して心理療法が行われることが普通です。
心理療法と薬物療法は車の両輪のように関わりあいます。どっちも必要ですから、どちらかだけで何とかなると考えるのは間違いです。
日本では薬が使えるのはお医者さんだけですから、実際には精神科医と心理臨床家、看護婦やソーシャルワーカーといったさまざまな人がクライエントに絡んで、少しでもその人自身で解決していけるよう、サポートしていきます。
ですから、クライエントの周りである家族や社会にも関わっていきます。スクールカウンセラーの考え方はまさにこれです。学校という社会で児童が悩みを持った際、家族、病院やカウンセリングルーム、学校との間でその間をできる限りいい状態に持っていこうとするわけです。ちなみにそれぞれは自分の利害が関わらないように独立的でなければならないとされるので、教員がスクールカウンセラーをすることはできません。
このように心理臨床というのは、決して部屋の中でクライエントと話をするだけではありません。家族やその周りもひっくるめて、いろいろと考えていきます。そして最終的には、クライエントが自分の力でよくなっていくことが目標です。あくまで、心理臨床家はサポート役です。
このような心理臨床を実践的に行えるようになるには、勉強はもちろん、実際に経験したり、自分よりもっと経験がある人にその経験を見てもらっていろいろ言ってもらったり(これをスーパーバイザ経験といいます)といったさまざまなことが必要です。
心理臨床家を目指す方はぜひ、頑張っていただきたいと思います。
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